箱根駅伝の区間記録(最高)と大学記録(総合/往路/復路)

箱根駅伝の区間記録(最高)

1区 佐藤悠基(東海大) 1時間01分06秒 2007年(第83回)
2区 メクボ・J・モグス(山梨学院大) 1時間06分04秒 2009年(第85回)
3区 森田歩希(青山学院大) 1時間01分26秒 2019年(第95回)
4区 相澤晃 (東洋大) 1時間00分54秒 2019年(第95回)
5区 浦野雄平(國學院大) 1時間10分54秒 2019年(第95回)
6区 小野田勇次(青山学院大) 57分57秒 2019年(第95回)
7区 林奎介(青山学院大) 1時間02分16秒 2019年(第95回)
8区 小松陽平(東海大) 1時間03分49秒 2019年(第95回)
9区 篠藤淳(中央学院大) 1時間08分01秒 2008年(第84回)
10区 松瀬元太(順天堂大) 1時間08分59秒 2007年(第83回)

 

1区は東海大のレジェンド佐藤悠基(東海大OB)。10区と並んで箱根駅伝最古の記録。箱根から世界へ羽ばたいた、オリンピアンである。2012年ロンドン五輪では、10000m、5000mに出場した。今は、マラソンで世界を狙っており、2019年今もなお成長中の箱根レジェンドである。

2区は、メクボ・J・モグス(山梨学院大OB)である。モグスといえば、4年連続エース区間の2区を任され、1年次では区間賞、2年次は後半失速し区間6位。3年次区間新記録1時間0623秒をマークし、これまでの区間記録であった1999年に順天堂大学の三代直樹が出した1時間0646秒を9年ぶりに更新。さらにその翌年、前年の自らの記録をさらに19秒更新する1時間0604秒を記録するなど、前代未聞となる区間記録メーカーであった。

3区は、森田歩希(青山学院大OB)。駅伝男と言われ続けた男は最後の箱根駅伝で区間記録を打ち立てた。当時は、本番数日前迄左股関節の故障により出場が危ぶまれ、当初は補欠に廻っていた。それでも直前で何とか間に合い、往路の3区へ正式にエントリー。スタート時は8位だったが怒涛の追い上げを見せ1時間1分26秒のタイムで区間新記録の快走を見せた。

4区は相澤晃 (東洋大)である。都道府県と三大駅伝駅伝では区間賞6度(内区間新3度)と圧倒的な強さを誇る2019年学生最強ランナーである。自己ベストは5000m、10000m順に13分34秒94、28分17秒81。全日本駅伝2019では、10km通過タイムが27分40秒台で通過するなど学生の域を超えて日本トップクラスの実力の持ち主。

5区は浦野雄平(國學院大)。今の箱根駅伝5区区間記録保持者であり平成最後の山の神となった。それまで、5区を走った経験はなかったが急遽走力だけで走りきった結果がこの区間新を生み出している。それ以降は、國學院大の絶対なるエースとしてチームを牽引している。

6区は小野田勇次(青山学院大)。最後の箱根で57分57を打ち立てた下りの神。青山学院の切り札として下りのスペシャリストとして活躍した。4年連続の59分切りは、小野田が史上初となっており当面は破られそうにはない。

7区は、林奎介(青山学院大)。2年連続の7区を担当し、どちらも区間賞を獲得している。しかし、入学当初は下から数えた方が早かったというが、ハーフマラソンで徐々に実力を伸ばしての区間新となった。

8区は、小松陽平(東海大)。区間エントリーは当日変更で8区へ投入。東海大としては東洋大に4秒差で8区へ襷渡しが行われ、徐々にプレッシャーを与え続けた小松が14kmすぎてスパートで仕掛け勝負が決まり東海大箱根優勝の立役者となった。

9区は、篠藤淳(中央学院大)。従来の記録を37秒更新する区間新記録を打ちたて、大会MVP(金栗杯)を獲得すると共にチームを初めてのベスト3に導いた。復路の選手で金栗杯を獲得したのは篠藤が初めてであった。主に、3000m障害走の選手であり2014年の日本選手権では優勝している。

10区は、松瀬元太(順天堂大)。1区と並んで箱根駅伝最古の記録となっている。松瀬元太自身2度目の10区で、68分59秒の記録を打ち立てた。彼の自己ベストを58秒も更新。後半はビル風もある区間で3分/kmペースを落とさないでいかに駆け抜けるのかがいかに難しい区間なのかがわかる。

 

大学における最高記録(総合/往路/復路)

総合 東海大 10時間52分09秒 2019年(第95回)
往路 東洋大 5時間26分31秒 2019年(第95回)
復路 青山学院大 5時間23分49秒 2019年(第95回)

 

東海大が最速タイムを持っているが、往路、復路の完全優勝ではない。これは層の厚さを物語っていると言える。

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・2018.02 当サイトが日テレ「1周回って知らない話」より取材オファーを受けました。先方の諸事情により、3月の放映には至りませんでしたが、楽しいファンサイトを目指してゆきます。

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